近くて遠い君に

5

ライン ドット

「一哉さん?」

「慎…」

 

携帯に出た慎の声を聞いて安心したら、ドット身体中から力が抜けた。咄嗟に慎が自殺してるんじゃないかなんて、考えてしまった俺が馬鹿みたいに、携帯に出た慎の声はしごく冷静だった。

 

「お前、今どこにいるんだよ。皆、心配してるんだぞ。」

。」

「慎、聞こえてるのか。おい?」

 

携帯の向こうで息を吸い込むような音がした。

 

「他に言うことはないの、一哉さん?俺が一哉さんのこと心配しなかったとでも思ってる?」

「あ…」

「こうすれば、一哉さんから連絡くれると思ったから黙って家を出た。」

「慎…。」

 

俺が口籠ってると、慎が明るい声で聞いた。

 

「一哉さんこそ、どこに居るの?」

「俺は…その、アパートに引っ越した。」

「アパート?ふーん。で、場所は?」

「それは…言えない…。」

「もう一回だけ聞くよ。場所はどこ?言わないならそれでも良いけど、俺、もう家には帰らないからね。学校も辞める。大学にも行かない。お袋はヒステリー起こして、一哉さんの家に怒鳴り込むだろうし、親父は心臓発作で倒れるかも。」

 

相変わらず口調は明るいけど、慎が本気で怒ってるのは分かった。

 

「分かった。俺が悪かった。」

 

それから最寄の駅と駅からアパートまでの道順を説明すると、慎が言った。

 

「じゃあ30分で行くから。」

「会って話をするだけだぞ。俺はもう慎のお袋さんにも、親父さんにも、うちの親にだって、これ以上心配は掛けないって決めたんだから。」

「とにかく直ぐに行くから、そこに居てよ。」

 

人の話を聞いているのかいないのか、慎がそれだけ言うと携帯が切れた。

 

(あいつ、腹減ってんじゃないかな?)

 

咄嗟に何でそんなこと考えたのか自分でも良く分からない。

 

夕べ慎がどこに居たとしても、もう昼近い。何か食べたいんじゃないかと思った。いや、慎が何か食べてるところを見て安心したかった。

 

部屋の鍵を掴むと、駅の方に向かって走った。コンビニで何種類も弁当を買って、お茶にジュース、スナック菓子までビニール袋に幾つも買い込むと、俺はまたアパートまで駆け戻った。

 

そんなに時間をかけたつもりはなかったのに、アパートの前まで行くと慎がこっちに向かって走ってくるところだった。肩で息をしながら立ち止まった俺を見て、慎が足を止めるとホッとした顔をした。

 

「また逃げちゃったのかと思った…。」

「ごめん。お腹空いてるんじゃないかと思って…その、冷蔵庫とかまだ無くて、部屋に何も無いから適当に買って来た。」

 

俺がそう言って弱った顔をしてみせると、慎が溜息を吐いた。

 

「一哉さんには、ほんと参るよ。っていうか、何で俺が腹減ってるって分かった?自分でもそんなこと忘れてたのに…。でもそう言われたら、確かにすっげー腹減ってた。」

 

そう言うと、慎が俺の手からビニール袋を取り上げた。

 

「うわっ、これ夕飯の分までありそうじゃん。」

 

そして照れ臭そうに笑う。俺は慌てて言った。

 

「これ食べたら直ぐ家に戻るんだぞ。今日は話をするだけだからな。」

 

慎はそれには答えずに、袋を抱えたままアパートの入り口に向かって歩き出した。部屋の鍵を開けると、「お邪魔します。」って言いながら入ってきて、何もない部屋の隅に置かれたベッドに目を向けた。

 

「クッションとかも無いんだ。いいから、そこに座れよ。」

 

俺がそう言ってベッドを指すと、慎がポツンと呟いた。

 

「小さいね…」

「え?」

「ベッド…。こんなに小さいの買って…ここで一人で寝るつもりだったんだ。」

 

しばらく慎の横に突っ立ったまま、俺はその小さなベッドを見詰めた。

 

そうかもしれない...。慎と会えないなら、これからは一人で居ようって無意識に思ってたのかもしれない。俺が一人でギリギリ寝られるくらいの小さなベッド…。それを選んだ時に、誰かを部屋に連れてくるなんてことは、考えもしなかった。

 

「一哉さん…」

 

俺が黙っていると、慎がビニール袋を床に落とした。そっと指が俺の頬に触れる。それだけで流されてしまいそうで、俺はサッと身体を引いた。

 

「もう決めたんだ。慎のお袋さんにも、俺の両親にもこれ以上は心配かけられない。慎だって来年は受験だろ?俺のことなんてサッサと忘れて...

 

そう言い掛けた俺を、慎が片手を伸ばして、あっという間に抱き寄せた。

 

「そんなこと出来るわけないじゃん。俺がずっと一哉さんのこと心配して、碌に飯も食ってなかったの分かってたんでしょ?俺の気持ち、一哉さんには良く分かってるんだ。一哉さんだって、こんな小さなベッドで…ずっと一人でいるつもりだった癖に。」

 

そう言いながら抱き締められると、慎の身体の重みに力が抜けそうになる。それでも俺は何とか続けた。

 

「だけど俺にはどうしようもないんだ。分かるだろ?お前の名前にも、俺の名前にも一っていう字が入ってる。俺もお前も一人息子で、どうしたって身動き取れねえんだよ。」

 

自分でそう言いながら、声が震えて泣き出しそうになった。唇を噛んで気持ちを落ち着けようとしてると、慎が少し身体を離して俺を見た。

 

「本当にそう思ってるの?一哉さんが気にしてるのって、ご両親のことだけ?」

「家だけじゃない。お前のお袋さんも、おじさんだって…」

 

俺が真剣にそう言ってるのに、慎が「なーんだ。」って言うとドサッとベッドに腰を下ろした。

 

「なんだって、何だよ!どうでも良いことじゃないだろ?」

 

思わず大きな声を出すと、慎が困ったような、眩しそうな顔で俺を見た。そういう顔をされると、それ以上怒れなくなる。怖い顔をしようとしたのに、かえって口元が綻んでしまう。

 

慎のこの顔に俺は弱かったんだ…。

 

「一哉さんも座って。」

 

張り詰めていた俺の気持ちが萎えたのを見透かしたように、慎が笑いながらベッドをポンポン叩いた。そう言われて少し離れて慎の横に座る。初めてキスした時と同じ…そう考えた途端、どうしようもなく身体が熱くなった。

 

慎が手を伸ばして俺の右手を握り締める。

 

「俺、大学に入ったら一人暮らし始めて、それでいずれ一哉さんとも一緒に暮らそうって思ってた。」

「え?」

 

俺が顔を上げると、慎が頷いた。

 

「いつか必ずお袋や親父を説得して分かって貰う。ずっとそのつもりだった。」

「慎...

 

大学に入ったら一人暮らしをしたいって、慎が言い出したのは去年の話だ。あの時からもう、そんな風に考えてたんだろうか?

 

「一哉さんが俺のこと嫌いっていうならしょうがないけど、俺…その点は結構自信あったんだ。」

 

そう言いながら、得意そうな顔で笑う。

 

「馬鹿。」って言おうとして、でも俺は黙ったまま目を伏せた。

 

(いつからだろう、慎が家を出て行きたがってるって聞いて、イライラするようになったのは?)

 

慎が傍に居ないと不安な気持ちに気が付いたのは、一体いつからだったんだろう?

 

「俺が一哉さんと一緒に住んで、いずれ大学も卒業して、それで独り立ち出来たら親父とお袋に話すつもりだったけど…まあ、それが思ってたより少し早くなっただけだから。」

 

あくまで明るい慎の顔を、俺は初めて見るような気持ちでマジマジ見詰めた。

 

「お前って…何でそうサバサバしてんだよ?」

 

俺がそう言うと慎がちょっと首を傾けた。

 

「だってさ、クヨクヨ考えたってしょうがないじゃん。俺にとっては、お袋や親父の気持ちより、一哉さんと一緒に居る方が大事なんだから。それにさ、かえって良かったって思うんだ。俺が就職するまで待ってたら、親父なんてもう五十過ぎてるじゃん。こんな話聞かされた途端、心臓麻痺でおっ死んでたかも知れないだろ?」

 

そう真顔で言われて、俺は思わず吹き出した。

 

「お前…何てこと…プッ、クックッ…」

 

笑い出すと止まらなくなった。まるでお腹の底から湧き出してくるみたいに、俺は笑いの発作に全身を任せた。

 

「お袋だって、今は怒鳴り散らすエネルギーがあって、発散出来てるけどさ。もっと年食ってからこういう話聞かされたら、心労の余り入院ってことになってたよ、きっと。」

 

「もう止めろ…ヒッ、クックゥッ…」

 

慎が真面目な顔でいるのが、信じられないくらい可笑しい。身体を折り曲げて笑い続ける俺を慎が抱き締めた。

 

「笑うなんて不謹慎。」

 

そう言いながら、慎もクスクス笑い出す。

 

背中に腕を回して抱き合ったまま、仕舞いには二人とも涙を流して笑い続けた。

 

そしてその笑いの発作は始まった時と同じ位、唐突に終わった。

 

慎と抱き合ったまま、俺は涙に濡れた目で、同じように涙でグシャグシャの慎の顔を見詰めた。

 

「こんな風に笑っていたい。ずっと一緒に居たい。」

 

自分でも思いがけないくらい素直にそんな言葉が出た。

 

そしてそれが自分の本当の気持ちだってことに、俺はやっと気が付いた。簡単に手放そうとしていたものが、本当はどんなに大切なものだったのか、そのことに気が付いた。

 

「うん。」

 

ちょっと眩しそうな顔で俺を見詰めて、慎がそう答えた。

 

「ずっと一緒に居ようね、一哉さん。」

 

頷いて目を瞑ると、俺は少し顔を持ち上げた。その俺の瞼に慎がそっと口付けると言った。

 

「じゃあ先に飯食ってから、後でゆっくり一哉さんを頂きます。」

「な…何言って…」

 

俺が赤くなって口篭ると慎がまた笑った。

 

「だって一哉さん、したいって顔して誘うんだもん。」

「そんなことしてない!俺はただキスしたくて...その...

 

ますます口篭った俺の唇に慎が軽く指で触れた。

 

「そういう顔されると、俺、先に一哉さんが食べたくなる。」

 

(家に電話入れなくちゃ。)

 

お袋と親父は、俺から連絡が来ないかジリジリしながら待ってるはずだ。慎のお袋さんにも、ちゃんと慎から連絡させて安心させてあげなきゃいけない。

 

頭ではそう思いながら、俺は目を閉じると慎にしがみ付いた。

 

これから色んなことが俺達を待ってる。家のことだけじゃない。何もかもそう簡単には片付かない。

 

だけど今だけ…今だけはこのまま…。

 

このキスが終わったら、ちゃんと考えるから、ご飯を食べて、ちゃんと話をして、これから先のことも相談して、現実もちゃんと見るから…。

 

今だけは、何も考えずに二人でいたい。

 

小さなベッドに二人で倒れ込むと、俺は慎の重みを全身で受け止めた。

 

もう迷わない。

 

慎の背中に回した手に力を込めると、慎が俺を安心させるように背中を撫でた。慎の唇が俺の顔中にキスの雨を降らせ、仰け反った俺の喉を滑り落ちる。

 

 

 

頭を抱えられて口づけする直前、俺の目に映ったのは綺麗に澄み渡る青空だった。

 

 

 

お終い

ライン ドット

 

SUGARLAND』っていうサイト名は、お砂糖みたいに甘い甘いお話のサイトっていう意味で付けたので、サイトの一周年記念に甘々なお話を一つ書きたかったのです。書くのが遅いので、一周年をだいぶ過ぎてしまいましたが…(汗)

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