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ライン ドット

その後は大騒ぎになったらしい。

 

その前後のことも俺はほとんど覚えていない。覚えているのはその男の笑顔だけ。ただその笑顔には目も鼻も何もない。大きな口だけがあった。何を聞かれても俺は答えられず、ただ誰かに触られると悲鳴を上げて発作を起こした。

 

今でも突然襲ってくるその発作。

 

それから殆ど口をきかなくなった俺が何も言わないのをいいことに、お袋はあいつを家に入れてしまった。あいつが俺を気味悪がって殴り出しても、本気で止めようとしたことはない。

 

今日はどれだけ殴られてもいいから、あいつに言いたいことを言ってやろうと思った。

 

俺がどんなにあいつのことを嫌いか。自分より弱い奴しか殴れない最低の奴だって言ってやろうって。

 

「もう帰れ。」

 

家の前で足を止めると、振り返って田宮を睨みつけた。

 

「もし、おばさんまだ帰ってないなら、一緒にまたうちに戻ろう。俺、ここで待ってるから…」

 

それには答えずに俺は玄関を開けると、勢いよくバタンと音を立ててドアを閉めた。 

 

「裕子か?」

 

いつもはコソコソ物音を立てないように気をつけてドアを閉めるのに、大きな音を立てたせいでお袋と勘違いしたらしい。あいつが苛々した声でお袋の名前を呼ぶと、玄関に顔を出した。

 

「あの人じゃなくて悪かったね。僕だよ。」

 

俺がそう言うとあいつの顔色が変わった。

 

「お前、その態度は…」

 

殴られるって分かってたけど、俺は構わずに続けた。

 

「言っとくけど、ここはあんたの家じゃないよ。ここは俺の家で、あんたなんか…」

 

言い終わらないうちに腰の辺りを思いっきり蹴られて、ドアまで吹っ飛んだ。あいつが玄関に飛び降りてきて、今度は拳固で顔を殴られた。

 

もっと言いたいことを言ってやるつもりだったのに、顎がガクガクしてしゃべれなくなった。床に転がった俺を引きずり起こして、あいつがまた俺を殴りつけようとした瞬間、俺の背中を支えていたドアが開いて、俺は田宮に抱きとめられた。そのまま田宮が身体を捻ると、俺を後ろに庇ってあいつに向き直った。

 

「いい加減にしろ。これ以上牧に何かしたら俺が許さない。」

 

ヒーロー気取りの田宮。お前に何が出来るっていうんだよ?

 

家の中でだけ俺を殴るあいつは、外の人間にはまったく度胸がない。握った拳を下ろすと、口の中で何かブツブツ呟いて家の中に引っ込んでしまった。

 

もちろん後で今の倍殴られるのは俺だ。田宮の一人よがりの自己満足のおかげで。

 

「牧、大丈夫?どっか怪我してない?」

 

田宮が俺の顔にそっと触った。

 

こんな奴大嫌いだ。

 

それなのに…こいつだけが俺に優しい言葉を掛けてくれる。俺が怯えてると傍に居てくれる。

 

あの時俺を一人にしたくせに...。一人で先に行ってしまったくせに。

 

「うちにおいでよ。もし良かったら泊まっていったら?」

 

俺は顔を上げると田宮を睨みつけた。今日はこいつにも言いたいことを言ってやる。

 

「俺はお前の顔を見るのも嫌なんだ。お前を見るとゾッとする。お前のその声を聞くのも、触られるのも、お前の存在自体が許せないんだよ。」

 

言ってしまってから泣きそうになった。田宮の顔が歪んで辛そうな顔になるのが見えたから。こいつを思い切り傷つけてやりたかったのに、そうする権利があると思ってたのに、その顔を見た途端キュッと心臓が痛くなった。

 

「知ってるよ。牧が俺を嫌いなことも、俺と一緒にいたくないと思ってるのも知ってる。」

 

「じゃあ、放っといてくれよ。もう俺に構うな。お前には他に一杯友達いるじゃんかよ。俺のことなんか放っておいて、部活だってなんだって好きなようにやればいい。」

 

涙声で喚き出した俺の手を、田宮がそっと握った。

 

「そうするよ。俺がいなくても、牧はもう平気だって思えたらそうする。その方がいいなら、俺は牧の前から消える。話しかけたりもしない。」

 

そう言われて俺は急に足が震え出した。田宮が俺の前からいなくなる。いつも煩く俺に纏わりついていたこいつが俺の前から消えてしまう。

 

「でも今は駄目だ。こんな牧を放っておけない。一人には出来ないよ。」

 

俺の手を握った田宮の手に力が篭って、俺は思わずその手を握り返した。

 

「うちにおいで、牧。ね?」

 

黙った俺の手を握ったまま田宮が歩き出した。

 

握った手が大きくて温かい。

 

戻ってきた俺を見て田宮の母親が「ご飯食べるでしょ?」って聞いた。俺が頷くと「温め直すから、ちょっと待ってて。出来たら呼んであげるからね。」って言いながら、小走りで台所に向かった。

 

田宮の父親も俺の親父も、俺達が小さい時に亡くなってる。だけど、田宮の母親はいつも明るい。

 

俺のお袋がああなのは、田宮のせいじゃない。俺があんな目に遭ったんだって、田宮のせいじゃないのは分かってる。

 

そんなことは理屈じゃよく分かってる。

 

でもそれなら誰のせいで、俺はこんな目に遭うんだ?何で俺ばっかりこんな目に遭わなきゃいけないんだよ?

 

田宮の狭い部屋に小さな布団を二つ並べて寝た。いつも混乱して纏まらない俺の頭は、グチャグチャ考え出すと止まらなくなって、夜眠れないことがしょっちゅうある。

 

田宮に言われたこと、それを聞いた時の自分の不安な気持ち、明日も学校に行かなくちゃいけないこと、家に戻ったらまたあいつに殴られるってこと…そんなことを繰り返し考えたまま、目を開いたままでいると、隣から田宮の静かな寝息が聞こえてきた。

 

その規則正しい呼吸のリズムを聞いてると、ズキズキし始めた頭が少しずつ落ち着いてくる。

 

さっき田宮に手を握られた時の温かさを思い出して、俺はそっと田宮の布団の中に手を入れてみた。

 

そしたら直ぐに田宮の腕に触った。起こしたかもしれない、と思ってしばらくジッとしてたけど、田宮はスヤスヤ寝てたから、もう少し手を伸ばして田宮の手を軽く握ってみた。

 

あたたかい

 

一瞬キュッと握り締めてから、溜息を吐いて手を離そうとしたら、ギュッと握り返された。

 

「あ…」

 

田宮がいつの間にか目を開けて俺を見ていた。

ライン ドット

 

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