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その日も俺は一人で残業していた。上司はとっくに帰ってしまっている。俺を犯りたい時以外は、俺が幾ら残業しようと平気で先に帰る。
(その方がありがたいけど。)
パソコンの画面を睨んで俺はいつもの手順を繰り替えした。残業がやたらと多いのは俺がやってることを回りの連中に知られると不味いからだ。「高田機材」宛てに架空のオーダーを入れて発注すると、適当な日付の受け取りのデータを入れ、在庫をごまかす。
経理から「高田機材」に支払いの入金があるたびに、俺にも多少の分け前が貰えるけど、見つかった場合のことを考えれば割りに合う額じゃない。俺は課長である上司に脅されてやってるだけだ。
額が少ないうちはごまかせても、もし監査でも入れば一発で在庫が合わないのは分かってしまう。そしてそうなったら課長が全部俺のせいにするつもりなのも分かっていた。特にこのところうちの部署から架空の注文を出し過ぎてる。
(ばれるのは時間の問題だな。)
最後の発注をすませてから俺はパソコンの画面を睨んで溜息を吐いた。その時だ、急に背後から声を掛けられて椅子の上で硬直した。
「安西さん。今日も残業ですか?」
怯えが顔に出ないように何とか自分を取り繕うと、俺はゆっくり振り向いた。立っていたのは見覚えのない若い男だった。きちんとスーツを着てネクタイを締めているところを見ると、どうやら同じ会社の人間がまだ居残っていたようだ。
「えーっと、君は?」
「酷いなあ、俺のこと覚えてませんか?」
そう言われてみればどこかで見たような顔かもしれない、にこにこ愛想良く笑う顔を見ているうちにようやく思い出した。
「ああ、君は確か経理の...坂本君?」
「嬉しいなあ、思い出してくれたんだ。」
その言い方が何だかこっちを馬鹿にしているように感じられたのは俺の気のせいだったのか。だけど、笑ってる顔にどうも裏が感じられて、俺は黙って背を向けると素早くパソコンのデータを消した。
「また高田機材に発注ですか?」
どうやら画面を見られたらしい、また背中が硬直したのを悟られないように静かに息を吐いた。
「うちの部署で今扱ってる大型にここの部品がいるんでね。」
「そうなんですか、でもおかしいですねえ...」
「おかしいって、何が?」
いけないと思いつつも、こっちをからかうような言い方に思わず尖った声になった。
「いえね。俺、経理で今在庫の管理やってるんですけど、やたらと高田機材からの受け取りが多いんでちょっと調べてみたんですよ。そしたら...」
そこまで言いかけて坂本は口を噤むと俺の顔をじっとみた。ここで焦ったら思うツボだと思いつつ、俺はどうしても聞かずにはいられなかった。
「そしたら何なんだよ。」
「倉庫の搬入やってる連中に聞いてみたんですよね、高田機材からどのくらい部品が届いてるかって。そしたらおかしいんです。高田機材からここしばらく受け取りがないって言うんですね。ねえ、安西さん、どう思います?」
脇の下に冷や汗が流れるのが感じられた。
「どうって...」
「確かに注文は出てるし、受け取りもされて在庫扱いになってる商品が、何故倉庫に無いんでしょう?」
もう奴の目は笑ってなくて、冷たい目で俺を見据えている。俺の方が先に奴から目を逸らした。
「これ、安西さんが考えたことじゃないでしょ。正直に言って下さいよ。俺、助けて上げられるかもしれない。」
驚いて目を上げた。助けるってどういう意味だろう。このままこの単純な詐欺を続けていればいずればれる。そうなったら俺は下手したら刑務所行きだ。幾ら課長に脅されていたって言っても誰も信じないだろう。高田機材名義の口座を開いたのも俺なら、実際にパソコンにデータを入れてるのも俺だ。
奴が低い声で笑った。
「このままじゃ誰が見たっておかしいから、直ぐにばれちゃいますよ。知ってますか?一番分かりにくい詐欺は何か?」
俺が黙って首を横に振ると、奴が笑いながら続けた。
「組織の複数の人間が共謀することですよ。俺が在庫のデータを改ざんしてあげます。発注した部品は、そっちの部署の大型機械の組み立てに使われたことにすればいい。課長もぐるなんでしょ。だったら製造費の増加も適当にごまかせる。次回からは予算に組み込んでしまえばいい。」
混乱した俺は頭を振った。
「だって...そんなことしたらお前まで...」
「当然、分け前は貰います。」
「分け前ったって...」
そもそも俺が課長に脅されてこの詐欺に加担するはめになったのは、金のためじゃない。恋人の、いや、恋人だった省吾が俺の部屋から出るところを課長に見られていた。最初は多分偶然見られたんだろうけど、その後俺達を付回したらしい。
ある日、課長について高田機材の社長に挨拶に行くように言われて、何気なく一緒に出かけたら、誰もいない倉庫に連れ込まれて二人に犯された。奴らは省吾の勤め先や実家の住所まで調べ上げていて、俺と省吾が二人で一緒にいるところまで写真に撮っていた。
省吾の会社や家族にばらすって言われて、俺はこの幼稚な詐欺に加担することを承知させられた。おまけにあいつらの気が向くたびに、呼び出されて犯される。何度か架空の注文に対して口座に入金があるたびに、恐ろしくなった俺は省吾と別れた。
俺のやってることがばれたら省吾にも迷惑がかかる。それに課長や高田機材の社長に弄くり回された身体で省吾に抱かれるのが辛かった。俺の様子がおかしいのに気づいた省吾に言い訳をするのも疲れた。
ちゃんと打ち明けて相談すればよかったのかもしれない。だけど省吾なら、会社にばれても家族に分かっても構わないから、脅しには屈するなって言いそうだった。
そんな綺麗事をさらっと言ってしまうところが好きだったけど、現実がそう甘くないってことは俺にだって分かる。優しくて強い、俺の理想の男だった省吾。あいつにだけは傷ついて欲しくなかった。
口ごもった俺に坂本が笑顔で続けた。
「そっか、やっぱり安西さんは脅されてるだけなんだ。おかしいと思ったんですよね。安西さんみたいな人が課長みたいな爺さんに抱かれるなんて。」
今度こそ俺は顔から血の気が引いた。
「お、お前、何で知って...」
「2ヶ月くらい前、資料室で夜の9時過ぎ。思い出しました?」
「けど...鍵は閉めたはず...」
思いっきり混乱している俺に坂本がクスクス笑った。
「中に人がいるのを確認しないで鍵を閉めたって…ふふっ、意味ないですよ。」
慣れっていうのは恐ろしい。課長も俺も前ほどきっちり周りを確認するってことを怠ってたわけだ。
「ちょうど上半期の決算時期で経理は全員残業してたんですよ。たまたま資料を取りに来てたのが俺だったんですけどね。お蔭ですごいもの見ちゃいました。安西さん凄いんだもん、声が。」
ククッと笑う坂本の声が遠くに聞こえた。あんな所を人に見られてたなんて...あんな...。
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