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鞍も鐙も手綱もないのにシュラはひらりと若駒に跨って、その腹を軽く一蹴りすると駆け出した。夜の街道をその主従が無言で疾走する。時々シュラが若駒の首を撫でては道筋を教えた。そうして白々と夜が明け染める頃、シュラが若駒の首を抱いて言った。
「もう大丈夫、少し休みましょう。」
若駒が歩みを止めるとシュラが降りるのを待ちかねたように、その身体がみるみる人の姿に変わった。
「可哀想に、無理をさせました。さあ、こちらへ。」
シュラがウマを支えると、道をそれて林の中に入った。せせらぎの音を辿って、細いけれど清らかな小川のほとりにでるとウマを横たえて、口移しに水を飲ませた。何度かシュラの口から水を飲むと、ウマが呻き声を上げて目を開いた。
「ウマ、大丈夫ですか?私にはカラ様のようにお前を治して上げることが出来ないのに、辛い思いをさせて済みません。」
「こんくらいでへばってしもうて…お役に立てんで申し訳ねえです。」
「そんなことはありません。もうじき伊勢の国に入るはずです。もう随分と尾張に近くなりました。夜が明けてしまうまで一休みしましょう。」
小川の少し上手の方に近隣の農家のものらしい、崩れかけた小屋があった。シュラがウマを支えるようにそこまで運ぶと、干された藁の束の上に寝かせた。
「シュラ様もお休みになって下せえ。」
「私は良いのです。」
「そんでは、わしも眠れません。」
「では、私もウマの隣に寝ましょう。」
「へ、へえ。」
チクチクと頬を刺す藁を押しのけつつ、シュラとウマが抱き合うようにして横になった。眠そうな声でウマが聞いた。
「あのう、シュラ様の本当のお名前は何と言われるんでしたかの?」
「ああ、私にも良く分からないのですよ。そなたが覚える必要はありません。今まで通り呼んで下さい。」
溜息を吐いてシュラが続けた。
「カラ様のお名前も本当はマハーカーラと言われるのだそうです。大黒天と呼ばれることもあるとか。この国に戦がなくなって、カラ様が残り五人の仲間を探し当てることが出来たら、私達七人は宝の船に乗って人々に福を授けながら、幸せに暮らせようになるのだそうです。皆で人に崇められ称えられて、夢のように幸せに。」
カラに聞かされた話を繰り返しながら、シュラはウマが眠ってしまっているのに気づいた。
カラは人も獣も救うことが出来る不思議な力を持っているのに、シュラには人を殺める力しかない。見たことを触れて回られては困るとは言え、抵抗せずに逃げようとする男達を殺したのは、単にそうしたがっている自分が止められなかったからだ。
破壊と殺戮の本能。身体から青い火花が散った時、自分でもその欲求が止められなかった。カラが自分を一人で行かせずに、ウマをつけてくれたのは考えがあってのことだったと分かる。ウマが傍らに居なかったら、あのまま火花を散らして破壊を続けたかった。その本能に震える身体をウマが抱いて静めてくれた。
その自分が人に福を与える?
自分が何者か身をもって知ってしまった以上、カラの元に戻ると考えるのも辛かった。シュラは何度か息を吐くと考えるのを止めて、温かいウマの身体に身を寄せて目を瞑った。
夜明けまで少し休むつもりだったのに、すっかり高くなった日に照らされて目が覚めた。
「ウマ、起きてください。」
「あ、はあ、シュラ様?」
ぼんやり目を覚ましたウマがシュラを見て驚いた顔をした。
「思い出しましたか?ここは京の屋敷ではありませんよ。」
「そうじゃった…」
「うっかりと寝過ごしてしまいました。ウマ、もう少し走れますか?出立が遅れたので、出来ればそなたの足で行きたいのですが?」
「あい、もう平気…」
そう言いかけたウマの腹がグルグルと大きな音を立て、それを聞いたシュラが笑って竹筒を差し出した。
「これをお食べ。カラ様に頂いた米を水にしばらく浸してあります。味噌と一緒にどうぞ。」
「シュラ様は?」
「私はウマが寝ている間に食べました。」
「ほんまに?」
「はい。」
余程腹が減っていたらしく、それ以上口を利かずにウマがふやけた米を噛み始めた。シュラが懐から味噌の入った竹皮を出して、時々指で掬ってはウマに舐めさせた。
「急いで食べてはいけませんよ。ゆっくり良く噛んで。」
「へえ。」
「夕べは無理をさせて済みませんでした。お前の言うとおり夜はどこかで宿を探しましょう。お前の足なら今日中に伊勢の国境に着けるでしょう。そうすれば明日には尾張に入れます。」
「あい。」
ウマがふやかした米を食べてしまうと、二人は小屋を出て小川に戻った。そこで水を飲んで一息いれるとウマが服を脱いで裸になった。シュラが人目のないのを確認すると、地面に倒れこんだウマがやがて若駒の姿で起き上がった。
「ありがとう、ウマ。またお願いします。」
主従は夕方までまた駆け続けた。裸馬に乗って街道を疾駆するシュラを、時折旅人が訝しげに見送った。夏の長い日がようやく傾きかけた頃、シュラが若駒の首を優しく撫でて話しかけた。
「今日はもうこのくらいにして宿を探しましょう。」
若駒が首を振ると、まだ走る力があることを示す様に一層足を速めた。
「駄目ですよ、ウマ。また動けなくなってしまったら困るでしょう?」
シュラが何度か首筋を軽く叩くと、ようやく若駒が歩みを止めた。
「よしよし。」
ひらりとシュラがその背中から降りると、若駒が蹄の音を立てて街道の脇の藪を飛び越えて姿を隠し、次の瞬間には藪の向こうからウマが人の姿を現した。
「何と。ウマ、今どうしたのですか?」
ウマが嬉しそうにシュラに笑いかけた。
「カラ様から早よう姿を変えられる様にせえと言われておったけんど、ようやっと出来ました。」
「そうですか。素晴らしいですよ、ウマ。カラ様もきっとびっくりなされます。ウシにも早く見せてあげたいですね。」
「あい。」
国境の宿場が近いらしく、街道に人がちらほらと増え始めた。日が落ちる前に宿場に入りたいのは皆同じ思いらしく、一様に道を急いで行く。足の速いシュラとウシが次々にそんな旅人を追い越して行った。遠目に宿場の建物が見え出して安心したその時、街道の脇から不意に男達の一団が姿を現した。物も言わずに手馴れた動きで二人を抱えると、脇道にどんどん歩いて行く。
暴れるウマを抱えた男がウマの首を軽く絞めた。それを見たシュラの目が蒼く燃え、身体から光が放たれると、シュラを抱えていた男がぎょっとした様にシュラを放した。シュラの身体が地面に投げ出された音に、前を歩いていた男達が振り返った。
「何じゃ?早ようせんか。」
「これを見ろ!」
夕方の薄闇の中ではっきりと光を放つシュラの身体に男達が目を見張った。ウマを抱えていた男がウマの身体を落とすドサリという音がして、ウマが呻き声を上げた。息を呑んで立ち竦む男達にシュラが起き上がって鋭い声を放った。
「私から離れなさい。そうでなければ、」
そう言ってシュラが右手の人差し指を天に突き上げ、今しも雷鳴が轟き始めた積乱雲を指した。
「落雷に打たれて死ぬ。」
シュラが言い終わらないうちに、頭上に黒く圧し掛かった雲からピシャリと思いがけない近さに一本の雷鳴が落ちて立ち木を引き裂いた。
その木が焦げる臭いに男達が我先にと逃げ出した。そのまましばらく右手を天に伸ばしたままでいたシュラが、ウマの呻き声に呪縛を解かれたように手を下ろすと座り込んだ。そしてシュラの身体の光が薄れると同時に、雨雲がみるみるうちに散って消えた。
「ウマ、ウマ。」
シュラに揺すぶられて、ウマがぼんやりと目を開けた。
「大丈夫ですか?怪我はありませんか?」
シュラに助けられて半身を起こすと、ウマが首を振った。
「ちょびっと息が出来ねかっただけですけ。シュラ様はでえ丈夫で?」
「私は平気です。」
そう言うとシュラがウマに抱きついた。
「良かった。そなたに何かあったら私も生きてはおれません。」
「シュラ様…そんな勿体ねえこと。」
ウマがそっとシュラを抱き返し、二人はしばらくそうしてじっとしていたが、やがてシュラが言った。
「さっきの連中を逃がしてしまいました。このままだと厄介なことになるかもしれません。ウマ、申し訳ありませんが、もう少し遠くまで走れますか?」
「わしは平気ですけ。」
「ありがとう。では宿のある所までこのまま行きましょう。そこでせめて握り飯でも作って貰います。」
「あい。」
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