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月夜なのにそこだけ闇が濃い。
応仁の乱以来、何度も主が変わった京の街の陰惨な眺めは、夜の闇に溶け込んで目には見えない。それでも、荒れ放題の加茂川の河原の腐臭が、目に見える以上に無残な光景を残った感覚に訴えた。焼いても焼いても増え続ける死骸。せめてもと水を求めて来ては河原で死んでいった、飢えた人の群れ。
「のう、ウマよう。本当にこんな所におられるんじゃろか?」
「カラ様がおっしゃるんじゃけ、間違いなかろ。もっと足元照らせや、ウシ。」
ウマとウシと呼び合うのは、死人しか居ないこの河原に酷く不似合いな、粗末ながらもきちんと木綿の雑色の衣装をつけた二人の少年だった。年の頃は十五、六。凄まじい死臭と断末魔の呻き声に怯えながらも、松明を持って河原の闇を誰かを探しつつ歩いて行く。
「こんなに暗ろうては、何にも見えん。カラ様はどうやってわしらにシュラ様を探せとおっしゃるんじゃ。」
「暗ろうても、身体が光って見えるはずじゃと言うておられた。光っておるものを探すんじゃ。」
遠くに野犬の群れが吼えるのが聞こえた。河原の死体を喰らうその群れを所司代の舎人共でさえ、追い払うことは出来ない。ウマとウシが身体を震わせると、申し合わせたように駆け出した。
「もう嫌じゃ。犬に食い殺されてしまう。」
その時、月の光も届かない河原の底に、淡く光るものが見えた。
「おい、ウシ。あれを見ろや。」
「ほんとうに光っておる。なら、あれじゃろか?」
水の干上がった河原の中程に行くにしたがって、折り重なるように倒れた死体を踏みつけそうになる。膨れた死体を踏めば、溶け出る腐った内臓にそれこそ息が止まってしまう。野犬の遠吠えが近くなるのを聞きながら、ウシとウマは焦る気持ちを抑えて、河原を降りていった。
人とも思えない枯れた木の枝のような身体が、不思議な光を発して河原に横たわっていた。松明で照らしても、骨と皮だけの骸骨のような顔からは、その年齢も性別すらも判別し難い。襤褸切れを纏った身体の中で、腹だけがぽっこりと突き出ているのが、河原に転がる餓死者を思わせた。
「ほんに、これがシュラ様なんじゃろうか?」
「分からんが、これはこのままじゃともうじき死ぬぞ。」
野犬の遠吠えが益々近くなった。
「早よう去のう。わしらも犬に食われる。」
ウシがウマの助けを借りて、その異臭を発する枯れ木のような身体を背負った。松明を片手に二人が走り出そうとしたその時、ウシが悲鳴を上げて立ち竦んだ。
「足、足が動かん。何かおる。」
慌てたウマがウシの足元を照らすと、髪が抜けて目が落ち窪んだ悪鬼の表情をした男とも女ともつかないものが、ウシの足首を掴んでいた。
「あー、あ、あー」
片手でウシの足を掴み、もう一方の手を必死に上げてウシの背中におぶられた身体を指す。
「こりゃ、女のようじゃぞ。萎びてはおるが乳がある。」
「ひょっとしたら、これの」
とウマがウシの背中を指した。
「母親じゃろうか?」
その言葉に死霊のような女がまた呻き声を上げた。その絶望的な声が犬の遠吠えに重なる。ウシが震える声で言った。
「母じゃよ。成仏しなされや。この方はわしらが良い所にお連れするけ。たっぷり飯を食って、柔らかい絹物を着て、これから先、なんも苦労せんと生きていかれるようになるけ、この方のことは諦めて下されや。」
女がウシを離すと、両手を合わせて拝むように押し頂いた。涙がその乾いた顔を伝うのが見えたのが最後、そのまま河原に倒れこんだ。
「死によったで。」
「どうする?」
「どうもこうも、母親のことは何も聞いとらんけ。」
「ほんなら、早よ去ぬるえ。」
死体を踏まないように暗闇を飛び跳ねつつ、死に掛けの乞食の子を担いだウシと、松明を掲げたウマは、地獄の河原を一刻も早く離れようと駆けた。
河原を駆け上がっても、夜の京は魑魅魍魎が跋扈する闇に変わりない。ウシとウマは必死に通りを駆けた。時折、ウマがウシに声を掛ける。
「ウシ、大丈夫か?重うないか?」
「いや、軽い。何も重いことはない。骨と皮じゃけん。」
ようやく見慣れた屋敷の門が見えて、ウシとウマが息を吐いた。ウマが軽く門を叩くと直ぐに扉が中から開かれた。
「遅いわ。カラ様がお待ちかねじゃ。うわっ、臭い!何の匂いじゃこりゃ。」
背中が大きく曲がったウシとウマの半分ほどの背丈しかない男が、二人の身体から発する異臭に皺だらけの顔を顰めた。
「シュラ様をお連れしたんじゃ、イヌ。文句を言うと罰が当たるわ。」
イヌと呼ばれた男が、ウマの背中に張り付いた黄ばんだ身体を覗き込んだ。
「これが…たわけたことを申せ。これがシュラ様のはずがあるまいが。」
ウマが反論した。酷い目にあって折角連れ帰った者を、ただの乞食であったとされては適わない。
「間違いなくシュラ様じゃ。カラ様に言われた通りの場所で、淡々と光っていなさった。」
「そうじゃ、そうじゃ。」
ウマの反論にウシも和した。
「カラ様にお見せせんと。」
「そうじゃ、遅うなっても知らせよとの仰せじゃった。」
イヌが慌てて止めた。
「あかん、あかんわ。カラ様にそのような汚らしいもの、お目の穢れじゃ。」
3人が争いながら屋敷の中央にある庭に出た。荒れ果てた屋敷ばかり多い京には珍しく、月の光を浴びて青々とした立ち木が水水しい。中央には満々と水を湛えた泉水もあった。その庭に面した部屋の薄縁が捲くれて、美しい青年が縁側に降り立った。
「何を騒いでいる。シュラ様をお連れしたのか?」
「カラ様...。」
ウシとウマが顔を見合わせた。イヌにはああ言ったものの、目の前の美しい主人に背中の死に掛けの乞食を差し出すのは躊躇われた。
ウシもウマもイヌも、自分の出生や生い立ちを何一つ知らない。気がついたら、カラと名乗るこの美しい青年に拾われていた。常の人とは違うこの人に命じられれば、それが何であっても逆らうことはとても出来ない。
絹の様に流れる髪と白く輝く肌、そして赤い唇。ウシもウマもイヌも、その赤い唇の味を知っていた。その人の唇が自分に触れた途端、身体中に生気が吹き込まれる。三人にはそうして目覚めた時からの記憶しかない。
普段は穏やかで物静かなその人が、今は少し声を上げてウシを呼んだ。
「こちらにお連れしなさい。」
躊躇いつつも、その死臭を放つ背中の身体を地面に下ろそうとすると、
「何をしている。中にお連れしなさい。」
きつい声が飛んできた。ウシが助けを求めるようにウマとイヌを見る。目線を逸らされて、ウシが仕方なく背中の乞食を抱え上げると縁に足を乗せた。
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