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俺には何も言わなかったけど、時々夕飯の時間になっても帰ってこなくなったと思ったら、どうやら祥平は学校の帰りに真面目にセラピーに通ってるらしい。ようやく信頼できるセラピストに出会えたんだと思って、俺もホッとした。
そしてそれから何週間か経って、祥平が俺に一緒にセラピーに行って欲しいって言ってきた。
「やっと俺、自分の事話してもいいって思えるセラピストに会ってさ。敬吾のこと話したら、一度敬吾とも話したいって言うんだ。」
「うん、分かった。じゃあ一緒に行くよ。」
友達や知り合いから色々聞いて、最終的に祥平が選んだのは、なんと牧師さんだった。
宗教なんて馬鹿にしてたのに…。
その人は信者を助けるためのより良い手段として、若い頃に心理学の博士号とセラピストの資格を取ったらしい。そして、今は基本的には信者にボランティア、つまり「ただ」でセラピーを行っている!
「ええー、だってまさか俺ら信者でもないのにタダって…悪いよそんなの。かえって行きにくいし…。」
「教会の方に寄付してくれればいいってさ。」
うーん…。
「祥平はそれでいいの?教会に寄付なんて嫌じゃない?」
「何で?」
「だってその“宗教は罪悪だ”みたいな事言ってたし…。」
「え?俺、そんな事言ってないよ。」
あれ、俺の勘違い?
「他人が信じるのは勝手だよ。俺に強制されても困るけど。」
「その人は…その、勧誘したりとかしないの?」
「全然。いい人だよ。なんか、純粋に人助けしたいだけって感じで。」
「そっか。」
祥平って頑固なとこあるけど、頭が固い訳じゃないんだよな。誰にでも頭から偏見持つってこともないし。
ボランティアでしてるっていうだけあって、いわゆる典型的なセラピストのオフィスじゃなく、その日は仕事から帰った夜、祥平と二人でその人の自宅に呼ばれた。
(なんか申し訳ないなー。信者でも無いのに…。)
ニコニコと笑顔で迎えられ、自己紹介を済ませると2階のスタディに案内される。
冷たいオフィスと違って、本がぎっしり詰まった本棚が壁中を占領し、更に椅子の上や、床にまで溢れている。部屋の隅に大きなデスクがあって、その前のオフィスチェアに牧師さんが座った。
クッションが幾つか無造作に並べられたカウチに、俺と祥平が腰を下ろす。
セラピーが始まるって感じじゃなくて、大学の先生の部屋にでも遊びに来た感じだ。部屋の中も暖房が効いてて暖かく、ひどく居心地がいい。おまけにお茶まで頂いた。
そのうち祥平が床に置いてある本に目をとめて、2人でその本の話を始めた。俺は読んだ事ないから黙って聞いてる。ミッシエル・フーコー…いやフコー?聞いた事もない。
「哲学とか歴史っていうより、心理学の面から見ても俺は面白いと思うけど。」
「なるほどね。これが書かれた背景を読む、という意味ではそうなるのかもしれないね。」
「こういうの読む時はそこまで考えるべきじゃないのかな?」
「そうでなければ単なる資料としての価値に止まる?」
「かな。」
そこで牧師さんが急に話を止めると、俺の方を向いた。
「詰まらないですか?ずっと黙ってますね?」
「あ…いえ…。俺、その本知らないし…。」
俺の愛読書は漫画だけど、祥平は色んな本を読んでる。
「History of Sexuality…文学部や哲学科の学生でも無いのに、ショーヘーは良く知ってますよね。」
「ああ…祥平は頭がいいから。俺は馬鹿だけど。」
俺がそう言うと、牧師さんが今度は祥平の方を向いて聞いた。
「ケーゴが馬鹿だって思いますか?」
「いや…でも分かんない。時々、馬鹿っていうより、なんかトロくて苛々するかも。鈍いし。」
ええっ?…obtuseって…ひど…。
「ケーゴは自分が本当に馬鹿だって思うんですか?ショーヘーより劣ってるって?」
「それはその…しょっちゅうそう言われて、何かそうなのかもって…。祥平は俺と違って頭良いし。」
「そういう風に思うのは辛くないですか?」
あれ…
優しい声でそう聞かれてなぜかポロって涙が出た。
分かっちゃったんだ、俺のコンプレックス。祥平と一緒に居ると自分が馬鹿で凄く詰まんない人間に思えて…辛いこと…。
それから牧師さんが少しずつ俺と祥平に普段の俺達の関係を聞いてくれた。セックスの事も含めて。
かなり赤裸々な話も、プロに徹して聞いてくれるからそれ程恥ずかしいと思わずに話せる。俺が勃たなくなった話をすると、
「不安だったんですね。何が一番不安だったんですか?ショーヘーに傷つけられると思いました?」
そう聞かれて、自分の気持ちを説明しようとしたらドッと涙が溢れてきた。
「違います。そうじゃない…と思う。けど、分かんない…少しはそうかも。でもそれより俺、もしかしたら祥平がまた自分で自分を傷つけるんじゃないかって…。もし俺がうっかり何か言ったりしたら…。ううん、そうじゃなくても、もしかしたらなんかの拍子にカッとなって…そしたら、そこに銃があったら簡単だし、考える暇もなかったらって思うと怖くて…。」
俺がグズグズ話してると、祥平が急に声を荒げた。
「俺がそんな真似する訳ないだろ!銃を使うとしたらお前を守るためじゃんか。なんでそう馬鹿なこと考えるんだよ。大体お前はいっつも…」
俺がビクッと身体を竦めると、牧師さんの静かな声が祥平を遮った。
「いっつも、っていう言い方はいけませんね。そんな風に話を一般化してはただの喧嘩になりますよ。ケーゴが自分の気持ちを伝えようとしてるのに、怒鳴り返しては会話になりませんね。」
「だけど、今だってまるで、俺のこと頭が変みたいな言い方…」
「嘘だ!俺はそんなつもり全然ない!」
声を上げる俺達に、牧師さんが穏やかな声で続けた。
「AlwaysとかNeverっていうのはなるべく言わないようにしましょう。もし、ケーゴに馬鹿にされてるって感じたら、その時にそう言えばいい。でも、いつもって言うのは良くないですよ。もしそれが本当ならケーゴと一緒に居たくないはずですよね。」
グッと祥平が詰まった。牧師さんが俺を見て続ける。
「ショーヘーとは良く喧嘩しますか?」
「時々…」
「喧嘩はどういう風に終わります?」
「いつも…あ、いや…大抵、祥平が言いたい事言って決めつけるっていうか…」
「いい子ぶるなよ!」
「いい子ぶってなんかいないじゃないか!どうしていっつもそうやって…」
牧師さんは今度は祥平に向かって言った。
「ショーヘー、本当にケーゴが君を見下したり、一人でいい子ぶってるって思うんですか?さっきからケーゴ君の話を聞いてますけど、彼はそんな風に思ってませんね。ならどうして君はそんな風に感じるんでしょう?」
そう言われて祥平が唇を噛んで俯いた。
「それは…」
「あなたの御両親やお兄さんに対する感情をケーゴにぶつけてはいけませんね。」
あ…
「ケーゴはあなたの敵ではありませんよ。あなたを心配してくれてる。それは分かりますね?」
俯いたまま祥平が小さく肯いた。
「ケーゴ。」
「はい。」
「ショーヘーは君を大事に想ってます。知ってますね?」
コクンと肯いた。その途端、ポロポロ涙が零れる。
「さあ、今日はこれくらいにしましょう。疲れたでしょう。時間も遅いし、二人とも明日は仕事ですから。お茶をもう一杯いかがですか?」
暖かい部屋なのに、頭がボウッと熱い他は、手も足も氷みたいに冷たかった。お茶を飲むとそれまでの緊張が解けてホッとする。牧師さんが俺にティッシュをくれて、俺はそれで涙を拭いて鼻をかんだ。
祥平がお茶のカップを握り締めたまま黙ってしまったから、俺はしばらくすると牧師さんにお休みなさいの挨拶をして、丁寧にお礼を言った。辛くなったらいつでも来なさいって言ってくれる。普通、セラピーは1時間もしないで終わるのに、時計を見たら2時間以上経っていた。
今まで色んな人の話を聞いてきたんだろう。俺達の関係、コミュニケーションの足りない所、時間を掛けて、優しく指摘してくれた。そのことに素直に感謝する。
神様を信じ、敬謙な人。その無償の奉仕。
カソリックの僧侶の子供への性的虐待のニュース等々で、俺も宗教を軽蔑してたとこがある。牧師になる奴なんて、保守的で頭の固いアホだと思ってた。
だけど、ああいう人もいるんだ。
俺は黙ったままの祥平の手を握って外に出た。閑静な住宅街にはもう人影もない。
「敬吾…」
「うん?牧師さん、本当にいい人だったね。ちゃんと教会に寄付しなきゃ。」
「俺、ごめんな色々。いきなり怒鳴ったりしてたのに、自分じゃ気づかなくて…。敬吾が馬鹿なんじゃない。悪いのは俺だよ。俺が…so fucked up…」
祥平に自分のこと、そんな風に思って欲しい訳じゃない。違うのに…
「祥平、そんなこと言わないで。そんな風に思うんならセラピーなんて行かなくていい!俺の方こそ勝手に動揺して、祥平のこと信用できなくて…怖がらなくてもいいのに一人で怖がって…」
ああもう…また泣けてくる。
「そうじゃないよ。敬吾に話して怖くなったのは俺だよ。敬吾のこと信用できなかったのも俺。敬吾の言う事、する事、全部捻じ曲げて取って、憐れまれてるんじゃないかってピリピリしてた。ほんとにごめん。」
そう言う祥平の身体が少し震えていて、俺は思わず握った手を引き寄せると祥平を抱き締めた。そのまましばらく祥平の背中を摩ってると、祥平が黙ったまま俺の背中に腕を回した。
「今日、疲れたろ?セラピーって疲れるよな。」
「うん...」
「俺さ、祥平のこと憐れむなんて、そんなん絶対無理。むしろ憧れてるし…ずっと…。」
「敬吾…。」
「帰ろう。もう遅いし、俺も何かなーんもしてないのに妙に疲れた。」
「ん…」
そしてその夜、俺は祥平に「抱いて欲しい。」って頼まれた。
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