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その日もキャンプの手前のクリークの浅瀬で、少し身体を洗った。石鹸は使っちゃいけないから、汗を流すだけだけど気持ち良い。明日は午前中に山を下って帰るだけって言われて、姉貴も俺もすっかり元気を取り戻した。
「あー、楽しかった。また来たいなあ。」
「駄目!もう来なくていい。」
「ばっかねえ。ちょっと、からかっただけじゃない。あんたもさあ、あんなに愛されてるんだから、もうちょっと余裕ないの?年上なんだし。」
「え?」
「えって…。やだ、あんたってホント馬鹿。祥平君もあんたのどこがいいのかしらねー。」
愛されてる…
そうなのかな?そういう風に見えるのかな?
愛されて、愛したい…なーんてね。
「メロメロの顔しちゃって…もうっ、妬けるわよねえ。私も来年は絶対男と来るわ!あんたにあんな良い男が出来て、あたしに出来ないわけがない!」
「姉貴は理想が高すぎるんだよ。前に付き合ってた人、いい人だったじゃん。それなのにいっつも文句ばっかり言ってさ。いい加減逃げられるよ。」
「あれは私の方から振ったの!あんたこそ、いっつも顔で選んでるとしか思えませんけど?ついでにお金持ってて、頭もいいとかエリートとかじゃん。人のこと言えますか。」
いや、それは結果としてそうなだけであって、決して顔で選んでる訳では…。
バチャバチャ水を撥ねて遊んでた祥平が、話を聞きつけてこっちにやって来た。
「そうそう。俺のどこが好きって聞いたら、“見た目”って言われて、すげー傷ついたし。」
「まああっ!祥平君ってすごくいい子なのにねー。」
「だから、それだけじゃないってば!」
けど祥平のどこが好きって改めて聞かれると、今でも返事に困るかも。そもそも未だにあいつの事はよく分からない。
だからこそ余計、強烈に惹かれるのかもしれないけど…。
その晩はまた幾つかのグループと一緒にテントを張って、ディナーを食べた。マシュマロを分けてもらって、火に炙りつつホットチョコレートを飲みながら食べる。
「ダイエットに最悪のコンビネーションだけど、あれだけ運動したから平気よね。」
「姉貴細いじゃん。そんなん必要ないよ。」
「やーねー。あんたアメリカに長くいすぎて“細い”の基準がズレてんじゃない?油断してるとデブるわよー。」
「うーん、そうかも。」
周りがみんな太ってるから、自分では多少体重が増えたと思っても、細い細いって言われてつい油断するってことはある。今の会社は若い子多いし、あんまり太った人はいないけど、姉貴がダイエットって言うくらいだから、やっぱり日本の基準からすると、細いって言える人は少ないかもしれない。
「祥平君は腰細いよねー。」
「うん。」
「なのに力あるじゃない?」
「そう。」
「お肉食べないと太らないのかしら?でも炭水化物は食べるでしょう?」
「けど、学校で忙しいとランチ食べなかったりするみたい。夜もそんな食べないし。」
「ふーん。アルコールも飲まないしねー。あれだって結構太るから。」
「あ、う、うん。」
そのうち他のパーティーのメンバーと喋ってた祥平が戻ってきた。
「敬吾、明日の朝は少し早起きしてサンライズ見に行こう。この先ちょっと歩くと岩場があってそこから奇麗に見えるらしい。」
「オッケー。」
「あのー、私は遠慮しときます。昨日寝不足なんで。」
「え?でもせっかく来たんだし…」
「お姉さん、気い利かしてくれてんじゃん。お言葉に甘えて二人で行こう、な?ほら、テントの中入れ、足マッサージしてやる。」
「え?いいよ、別に痛くないし。」
「いいから、ほら。」
そう言うとサッサとテントの方に歩いて行ってしまった。
「えっと…」
「いいから行きなさいよ。ほんっとにラブラブで羨ましいこと!」
「へへっ、そうかな?」
しかし…
「痛い!痛いってば!マジ痛っ。ぎゃあー、やめろ!」
「喚くな。お前しょっちゅう足攣るだろ。ここが凝ってんだよ。」
ふくらはぎを指で押されると飛び上がるくらい痛い!そのまま親指をアキレス腱に沿ってググッと押さえながら踝に向かって下ろされ、バンバン手でテントの床を叩きながらのたうち回った。
「うわあぁっ!おおおー、痛ってえぇっ!もういい!もう充分。ひいいぃー!」
涙を流して痛がる俺を無視して、祥平が踝の内側、足の裏、指の付け根と、痛いポイントをギュウギュウ押す。
(マッサージっていうより、拷問?)
そのうち、姉貴がテントの入り口から呆れた顔を覗かせた。
「ちょっと、外まで聞こえてるわよ?なにやってんの?」
「ああ、もう終わったから。」
「鬼!」
「なに言ってんだよ。お前メチャメチャ凝ってっから、俺の指の方が痛いっつーの。」
「あら、すごい本格的にマッサージしてもらったんだ。よかったわねえ。」
「なら姉ちゃんもしてもらえ。」
「私はそんな凝ってないから大丈夫。」
「ふん。」
と言うものの、押された所が後からジンジンして気持ち良い。しかも少し汗掻いたお陰で全身温かくなった。そう祥平に言うと、
「お前が寒がりなのって、血の巡りが悪いからだろ。もっと身体動かして新陳代謝ってやつを高めてだなあ…」
「へー。」
「なに?」
「いや、さすがお医者さんだなあと思って。」
「医者じゃないって言ってんじゃん。そんなん常識。」
「じゃあ、俺もマッサージしてあげる。」
「いい。下手そうだし。」
(ちぇっ、ヒイヒイ泣かしてやろうと思ったのに。)
その夜は姉貴の寝袋の上に毛布を掛けてあげて、俺と祥平は寝袋をダブルにして一緒に眠った。一人で寝てるといつまでたっても冷や冷やするけど、二人で小さい寝袋に包るとすぐに暖かくなって、解してもらった足もポカポカした。
その夜もぐっすり眠ったけど、それでもまだ眠り足りない真っ暗な中、祥平に起こされた。
「敬吾、敬吾…」
「なにぃ?ねむいよ…」
「ほら日の出、見に行こう、ん?」
「ああ…ん…」
姉貴はぐっすり寝てたんで、懐中電灯を持って、セーターを着込むと、姉貴の使ってた毛布を貰って、代わりに俺達の寝袋を広げて掛けてあげた。
ハーッっと吐く息が白い。息を吹きかけて手を擦りあわせ、トントン足踏みをしてないと凍えそうになる。林の中に霧が濃かった。
「こっち。」
懐中電灯で足元を照らしながら、小枝をパキパキ踏みしめ、祥平とくっついて歩く。
「熊に襲われない?」
「そればっか。」
「だって…」
「大丈夫だって。もうすぐ夜明けだよ。」
「あ…」
林の中の思いがけない近さに鹿の親子がいた。鹿は時々見たけど、子供と一家でいるのは初めて見た。驚かさないように懐中電灯の光は向けないでいるけど、ボンヤリ届く明かりの中で小鹿の耳がプルッ、プルッと動くのが見える。
「可愛い。ほんとにバンビちゃんだね。」
「ああ、あの細い足でよく走れるよな。」
しばらく小鹿の可愛さに見とれてから、そっと歩き出した。
「逃げなかったね。」
「そうだな。人間が怖いって知らないんだな。」
「うん。」
そんなこと永久に知らないままでいて欲しい。もう一度、鹿の親子を振り返って見ると、俺は心の中でそう呟いた。
そして、「ちょっと」歩くと岩場があって、なんて言ってたけど、祥平の「もう少し」も「ちょっと」も信用してはいけなかった。5分位歩けば着くのかと思ったら、暗い中、30分近く歩いてもまだ着かない。
「なあ、ほんとに迷ったんじゃないか?」
「大丈夫だって、一本道なんだから。」
「けど、ちょっと歩けば着くって…」
「ああ、だから30分くらい。」
30分って“ちょっと”って言うか?“ちょっと”って言ったらせいぜい10分まで?最大15分?
心の中でぶつぶつ言ってると、ぼんやり白っぽい岩場が見えてきた。
「ほら、ここ。」
「寒みいー。」
どうやら下が崖になって突き出してるらしい岩場は、吹きさらしになっていて寒いことこのうえない。
「ほら。」
祥平が毛布をテントみたいにして、その中に俺を抱え込んだ。
「顔、氷みてえ。」
「鼻水垂れる…。」
「汚ねえ!ほら、鼻かめ。」
時々垂れる鼻水をティッシュでかんでると、急に目の中が赤くなった。
「わあ…」
真っ暗だった世界の彼方に真っ赤な線が真横に走った。そのくっきり描かれた燃える線の中心が膨れ上がり、やがて明々と全てを照らし出す。
向こうから走ってくる光が、眼下に連なる尾根を木々を順番に燃え立たせ、やがて俺達を光の渦に巻き込んだ。サングラスなんて忘れた目に全てが輝いて眩しい。
「すご…目、開けてらんない…」
「ここからだとまともに見えたな。」
「うん、すごっく奇麗!」
そのままピッタリ寄り添って二人で輝く朝日を浴びた。一斉に鳥が囀り出し、木の葉の露がキラキラ舞い落ちる。
「なんかさ、こう…頑張って生きていこうっていう気になるよね。」
「そう?」
祥平が俺の肩を引き寄せると、頬にキスした。
「連れて来てくれてありがと。なんかここで元気貰った気する。姉貴も喜んでたし。」
「そっか。」
「うん。来てよかった。祥平のおかげ。」
「俺、いっぺん敬吾と一緒に来たかったんだ。」
「また来ようよ。」
「そうだな。」
キャンプなんて自分じゃ絶対行こうなんて思わなかったけど、今はまた来たいなって思う。
自然はやっぱり偉大だ。なにか大きな存在に許されて、受け入れられた気がした。神様って言うと祥平は笑うだろうけど、人より確かに大きな存在の力を感じる。
全ての人に等しく救いを与える…深い癒しの存在。
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