残業

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ライン ドット

祥平は早く帰るつもりは無さそうだったけど、俺はその日は早目に帰って祥平を待つ事にした。もし祥平の気が変わって、俺を待っててくれたらと思うとそうせずにいられなかった。

 

だけど結局祥平は夜中まで帰らなかった。朝起きたら隣に祥平が居なくて、いつの間に帰ったのかまたカウチで寝ていた。

 

(寝顔なのに眉間に皺が寄ってる…悪い夢でも見てそうな顔。)

 

揺り起こして無理にでも話をしたかったけど、冷たく拒否されたら…と思うとそれも出来なかった。寝てるのに機嫌が悪そうに見えたっていうのもある。

 

(どういうつもりだろう…。俺を遠ざけて…別れたいんだろうか?)

 

それから俺はまた残業を始め、祥平はベットで寝なくなった。たまに顔を見て話し掛けても返事もしない。

 

俺は時々眠りながら泣くようになった。

 

会社では普通にしてるつもりだったけど、気がつくと恭介さんが時々心配そうに俺を見てた。夜遅くなるときはアシスタントのカーラに頼んで、彼女が帰る前に俺のためにサンドイッチとスープを買ってきて貰ったりしてくれる。最初は断ったけど、残業時間が長い場合は会社の規定で食事を出す決まりって言われて、それでも断るのもおかしいと思って結局食べる事にした。

 

デスクで一人で食べてたのが、恭介さんのオフィスで話をしながら一緒に食べる様になるまで時間は掛からなかった。最初は食べながら仕事の話をしてたけど、時々話が途絶えると、シンとした誰も居ないオフィスに二人だけでいる事を妙に意識してしまう。

 

一緒に住んでいても碌に顔も合わせない祥平。二人でいる時間がドンドン長くなる俺と恭介さん…。時々、思い出したように俺の気持ちを聞いてくる。「僕と付き合う事、考えてみてくれました?」って。

 

祥平にはずっと放っとかれてる。淋しくて…辛くて…目の前の人に縋りたくなってしまう…。駄目って思っても、一度したキスと抱擁を思い出してしまう。結局俺は弱い。自分でも時間の問題だって気がしてた。このままだと…。

 

4月の初めのある日、どうしても祥平に話を聞いて貰いたかった俺は、疲れて眠いのを我慢して祥平が帰るのを起きて待ってた。

 

どうしてもあいつの気持ちを確かめたくて、何を考えてるのか知りたくて。

 

頑張って起きてたのに結局カウチでウトウトしてしまっていたらしい、ドアの閉まる音で目が覚めた。

 

「…祥平、お帰り。」

 

ボヤーっとした頭で起き上がると、いきなり祥平が機嫌の悪い声が降ってきた。

 

「まだ起きてたのか?さっさと寝ろよ。」

 

ムッとするのを堪えて、なるべく静かに話そうとした。

 

「少し話がしたいんだ。今日は2階で一緒に寝ないか?」

「ごめんだね。疲れてるから一人にしてくんない?鬱陶しいんだよ。暗い顔して俺の事待ってるなんて。」

 

鬱陶しいって言われて俺の我慢も切れた。どうせ俺はウザイよ!そんなの初めから分かってたじゃん!

 

「うっとーしくて悪かったな!もういい!もし何かあってもお前のせいだからな!俺はもう知らない!」

 

(浮気してやる!祥平の馬鹿!後で後悔しても遅いんだからな!もうお前みたいなガキは沢山だ!)

 

怒りに任せてそんな事を思ったのは事実だけど、実際に「浮気」なんてしようと思ってた訳じゃない。ただ頭の隅にその誘惑がちらついていたのは確かだ。

 

誘惑と機会が常に目の前にぶら下がってる。そして毎晩の様に抱き合ってた祥平から突然突き放された身体が、その機会を逃したくないと囁く。

 

一旦欲望が勝ってしまったら、それを正当化するために理屈は何とでも付けられる。祥平が俺を放っておくのが悪い。1度位浮気したからって大した事じゃない。祥平なんか「大体」100人位と寝てるんだから、文句を言える立場か、等々。

 

「浮気」っていう考えが浮かんだ時点ですでに、俺はそういう理屈を捏ね回し始めていたんだと思う。それは最初はただの思い付き、空想でしかない。それが何度も考えてるうちに現実味を帯びはじめる。そして初めのうちはその空想に伴っていた罪悪感が…次第に薄れていく。

 

俺が恭介さんに抱かれたのは、最後に祥平と喧嘩して1週間もしないうちだった。

 

その日もいつもと同じように恭介さんのオフィスで一緒に簡単なディナーを食べてた。今日こそ浮気しようなんて思ってた訳じゃない。頭ではそんな事しちゃいけないってちゃんと分かってた。空想と現実は違うって事も。

 

仕事の話をした後でしばらく沈黙が続いた。近頃はそれが気まずいって事も無く、俺は側に人が居てくれる静かな心地よさを味わいながら、黙って座ってるだけで慰められる気がしてた。

 

「敬吾君…気づいてますか?この頃溜め息ばかり吐いてますよ。カーラも最近ケーゴが元気無いって言ってました。ずっと祥平君と喧嘩してるんですか?」

「…。」

 

俺はもう限界だったんだと思う。誰かに話を聞いて欲しかった。

 

俺を好きだと言ってくれる人と二人っきり。恋人と喧嘩した話を聞いて貰って、淋しいって泣いたりしたらその後どうやって慰められるか…

 

そのくらい分かってたのに。

 

しばらく俺を抱えて頭を撫でてくれた後、俺はデスクの前のラグの上に寝かされた。その動きが余りにも自然で、慣れてるって感じがして却って安心した。それ程悪い事をしてるっていう自覚が無かった。恭介さんが優しかったせいもある。余計な事は何も言わずにただそっとキスをくれた。

 

そのうち俺の身体が勝手に暴走し始めた。そうなってしまえば俺の方が積極的だったかもしれない。久し振りに与えられる快感を貪り続けた。それでも「ゴム付けて下さい。」って頼んだのはせめてそれだけは…って思ってたからなのか…。

 

セックスそのものは思ってたよりずっと良かった。別に凄い事をされる訳じゃないけど、慣れた手順に沿って進んでいく安心感がある。ちょっとづつ焦らしながら…俺の反応を確かめながら…恭介さんの方がずっと余裕があった。俺はただ水に浮かぶように…最後は波に揺さぶられるように…彼の動きに身を任せる。

 

けど…

 

欲望が弾ける瞬間、祥平の顔が見えた。

 

ぼんやりしていた風景のピントが合い、その中で俺を見つめて祥平が微笑む。祥平が俺を呼ぶ声が聞こえる。身体中の汗が一気に冷えて悪寒が走った。

 

叫びだしそうになって思わず両手で口を押さえる。何を叫ぼうとしたのかもよく分からない。「ごめん」って言おうとしたのか、祥平の名前を呼ぼうとしたのか…。

 

「敬吾君?大丈夫ですか?」

「…俺、俺…行かないと…。祥平に謝らないと…。」

「…敬吾君…。」

 

恭介さんが、今までに見せた事のない暗い顔で俺を見た。

 

「もう後悔してるんですか?」

「ごめんなさい…俺、こんな事するつもりじゃ…恭介さんのことは好きです、でも…やっぱり俺、俺は…。」

 

馬鹿みたいにボロボロ涙が出る。セックスが良かっただけに、却って罪悪感が深い。泣くくらいなら、後悔する位ならどうして恭介さんに甘えたりしたのか…。泣いたりしたら恭介さんにも悪いと思うのに、涙が止まらなかった。

 

「…敬吾君、僕の気持ちは分かってますよね。いくらなんでもそうやって泣かれて、僕が平気だと思いますか?」

 

俺に圧し掛かったままの恭介さんの手が俺の顎を掴んだ。

 

「…酷いな…。僕に抱かれて直ぐに他の男の事を考えて泣くなんて…。」

「す、すみません…。俺、ほんとに最初からそんなつもりじゃ…。」

 

顎を掴まえた手に力が篭って、急に恭介さんの声が低くなった。

 

「このまま君をもう一度犯しても…文句は言えませんよね。そんな顔して…僕を煽ってる様にしか見えませんし。そういうゲームが好きなんですか?泣きながらっていうのが?」

「ち、違います。俺…俺、ほんとにもう帰らないと…。」

 

普段優しい人だけに、急に恭介さんが別人みたいで怖くなった。泣き声を立てないようにギュッと唇を噛み締めていると、そのまましばらく俺の顔を暗い目で見詰めていた恭介さんが、やがて視線を床に落として、フッと全身の力を抜いた。

 

その隙に俺は慌てて恭介さんから離れた。

 

「僕の気が変わらないうちに帰りなさい。」

「はい…あの、俺…」

「グズグズしてると気が変わりますよ。今夜、このまま帰さないかも…。」

 

服を掻き集めて着た後、無言で頭を下げてオフィスを出ようとしたら、恭介さんが言った。

 

「この事は黙ってた方がいいですよ。」

「え?」

「さっき祥平君に謝らないとって言ってましたけど…。」

「あ…。」

 

そう、祥平に謝らないと…。

 

「僕がこんなこと言うのも変ですけどね…。君が祥平君が別れてくれれた方が、僕としては好都合ですから。けど敬吾君が泣くの分かってて放っとけませんし…。」

 

恭介さんが溜め息を吐いて続けた。

 

謝って済むことでもないでしょう…。本当の事を言えば君の気は済むかもしれませんけど、祥平君が君を許すとは思えませんね。あの子はまだ若いし、それを期待するのは無理ですよ。」

「…。」

 

それはそうかも知れないけど…。でも俺は祥平に嘘はつきたくない…つけない…。

 

「またそんな顔をする…。もう帰りなさい。運転しながら余計な事考えちゃ駄目ですよ。今日はもう遅いから話すならせめて明日にしなさい。」

 

俺はもう一度ペコッとお辞儀をしてオフィスを出た。馬鹿な事をしてしまったけど、相手が恭介さんで良かった。彼は大人だ。

 

それに比べて俺は…。

ライン ドット

 

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